散歩していたら、シャボン玉おじさんと遭遇した。
これは楽しい。意味なんてない。ぼくだって走り出したい。
しかし還暦じじいは走らない。
考えてみてほしい。白髪頭の腹の出たじいさんが、シャボン玉に反応してはしゃぎ、走り出したら気持ちがわるい。ドン引きだ。ぼくだって、そんな人がいたら、少し離れて目をあわせないようにするに決まっている。
子供達も、それを眺めている親たちも、おだやかに楽しんでいる昼下がりだ。じゃまはしない。
たとえば、この写真のタイトルをありきたりだけど「夢」としてみよう。
そこには、子供たちの未来を、写真を見たそれぞれの方たちが思い描く。たいして面白いタイトルではないし、当たり前でインパクトはないかもしれないけど、シンプルだし、素直で、気持ちはいい。
子供のうつっていないシャボン玉の写真に「夢」というタイトルをつければ、
それは、たちまち自分の事としてみた人それぞれの夢につながる。
ちょっと意地悪をして、「はかない」という形容詞をつけてみると、人生はほんのひと時の夢であるというような、さびしさも浮かび上がる。
この写真ではあまり似合わないし、効果はないけど、「バブル」とか「バブリィ」と言うタイトルであれば、なんだか、ちょっとイメージを悪くすることもできる。できれば、背景には殺伐とした都会の風景、、、例えば、モノクロ写真で渋谷の交差点を歩く多数の無表情の人々の上空にシャボン玉があれば、夢にもなるし、バブリィな世界へも誘うことができるだろう。
カラーの写真にして、笑顔もつけて「虹の向こうに」とか「Dream come true」とか言えば、勇気がわく。でも「maybe」を前か後ろにつければ、いきなり、気持ちはしぼむ。
だから、気持ちのいいタイトルをつけることが大切なのだなと思ったりする。同じ写真であっても、タイトルのつけ方で、意味は大きく変化するわけだ。
ポジティブに考えようなどと、簡単にいうけど、そう簡単なことじゃない。しかし気分は自分自身で選ぶことができる。
不安を選んでみよう。未来を考えるチカラがある人間は、いつも不安がつきものだ。不安とはいつも未来にあるものだ。
ポジティブのコツは「今」=「present」を生きるということだろう。過去はもう終わったことだし、未来はまだここにない。やるべきことは、いつも「今」にある。このシャボン玉も、あと数秒で消えるだろう。しかし「今この瞬間」シャボン玉は大きくふくらみ、目の前に生き生きとはずんでいる。
心の中にあるコトバをうまく選ぼう。
日本には言霊がある。きっと世界にもあるだろう。ぼくらの頭の中にはいつもコトバが溢れている。上手に選べば「夢」は生まれる。コトバにはチカラがある。シャボン玉はぼくらに「うまくやれ」と言っている。
散歩しているあいだに、ぼくらの網膜にはさまざまなimageが結ばれる。目の前のものにタイトルをつけてみよう。自分の心がへへって、ちょっと笑えるやつがいい。そのコトバが人生をちょっと楽しくしてくれる。